著者

大室正志

人類史から考えるワクチン分断

2021/09/09 11:19

 歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリの世界的ベストセラー『ホモサピエンス全史』によれば7万年前に人類の認知革命が起きたと言われています。それにより現実には存在しないものについて語り、信じられるようになったと。

 

 宗教、国家、貨幣。

 

 確かにこうした形のない虚構を信じることができるのは人類だけです。これにより見知らぬ人同士が協力できるようになり、それが人類の発展をドライブさせたという説は非常に説得力があります。

 

 ただし人類が行う最も愚かな行為である戦争は歴史的にみると宗教と国家を巡る争いがほとんどです。

 

 つまりフィクションを信じるがゆえに我々は協力できるが、フィクションを信じるがゆえに争い、憎しみ合うのです。

 

 ですのでフィクションを信じる力と疑う力のバランスを取ることこそが我々人類共通の課題と言えなくもありません。

 

 例えば会社にはあるビジョンの元に人々が集結しています。社員はそのビジョンに共感し協力し合い働いている。これはある意味、理想の職場です。

 

 ただしここでも、ビジョンというフィクションのチューニングには注意が必要です。

 

 共感濃度が下がると非協力的になる恐れがある一方で、逆に濃度が高まり過ぎると今度は盲信状態となってしまいます。特に盲信組織は先鋭化したカルト宗教のように独善的で危なっかしい集団に変貌するリスクもあります。

 

 フィクションを信じる力のバランスは、良く効くがゆえに副作用も大きい薬のように用法用量のバランスが難しいのです。

 

 例えば大昔の人類は火山や雷を見たときに「神が怒っている」というフィクションで説明をしました。未知のもの、理解ができないものは我々に根源的な恐怖を呼び起こします。そんなとき、このような説明は人々の不安を鎮めるためには有効に機能したことでしょう。例え状況が変わらなくても「分からないことの不安」は解消されるからです。

 

 そんな「分からないものは全て神の仕業期」を経て、新たに台頭してきた価値観が科学です。科学にかかれば雷は大気中の電荷分離における放電現象と、火山はマントル溶解によるマグマ溜まりの噴出と説明され、もはや神の出る幕はありません。

 

 ただし科学で説明をしはじめたのは人類史の中でせいぜい500年程度。人類はそのほとんどを神を中心にしたフィクションと共に過ごしていました。ですので歴史的に見れば我々はフィクション先行であり、科学的な思考は訓練によりインストールされていく新しいアプリのようなものなのです。

 

 科学万能時代を生きる我々は普段は論理や科学で考える場面と、フィクションを信じる場面を自分の中で自然と使い分けています。朝のテレビを観ながら天気予報では統計を用いた科学を使う。占いは厳密な統計ではなくともそこはある種のフィクションとして受け入れる、といった具合に。

 

 ただし、不安が高まると我々はそのバランスを崩しがちになります。医師をしていると普段はすごく論理的で理性的な人でもガンを告知されて不安が高まることで、平常時では絶対にしないであろう治療法を選択する方の話をよく聞きます。

 

 以前、私の外来でも、耳の遠くなった高齢女性が「嫁が向こうで私を追い出す相談をしている」と被害妄想的なお話をされたことがありますが、これなども不安によって生み出されたある種の陰謀論の亜型です。

 

 多分我々には不安時には論理を重んじなくなってしまう傾向があるのでしょう。そしてその不安は未知や分からなさから生まれやすい。

 

 コロナ禍に開発された新技術を使ったmRNAワクチンは大きな救いですが、未知で分からないものという意味では、まさに論理的な判断のバランスを崩させる不安を喚起する存在とも言えるでしょう。

 

 不安時に人は陰謀論を信じやすい。

 

 SNS上では予想通り陰謀論が飛び交いまくっています。

 

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