著者

上山信一

〈第1回〉 2050年のポスト資本主義の姿を考える ―俗説を疑い、古典を読めば未来は洞察できるー

2021/09/13 10:56

今月のニュースレターは3回にわたり、「2050年のポスト資本主義の姿」を考えたい。だが、未来のことは誰にも分からない。うんうん考えても何も見えてこない。いきなり「2050年どうなるだろう」と考えるのは「洞察」ではなく「憶測」だ。洞察とは今起きている事象についてクリティカルな視点で解析し、過去からのつながりを理解した上で未来を読み解いていくプロセスだ。ならばどうやって「洞察」すればいいのか。ヒントは実は身の回りの俗説と古典にある。

 

米国知識人は米中対立が洞察できなかった

例えば今日の米中新冷戦時代の到来を米国の知識層は洞察できていなかった。これは中国を帝国主義の餌食になったアジアの発展途上国と捉えていたが故の失敗だ。もしそうなら豊かになれば人々は衣食住や経済に飽き足らず、必ず自由と民主主義を求めるはずという「洞察」が当てはまったはずだ。だが中国はかつて明の時代に極めて自由な競争社会を経験し、その後は清の時代に形式主義、儒教的官僚主義に陥って植民地化しただけだった。

つまり先進国の行き詰まり、没落の姿が清朝末期の中国であり、人々は単に私利私欲の追求に走った。これに懲りて中国は共産党のもとで秩序形成に走ったわけであり、経済開発のために便宜的な独裁をやっているその辺の新興国とは本質的に違うのだ。あえていうと宗教戦争後、17世紀欧州の国民国家の形成にもにた秩序形成の手段が共産中国であり、それを西欧型の国民国家、民主主義国家に育てるという考え方そのものが理解されない。これが例えば筆者が考える一つの洞察である。これが学術的、理論的に正しい洞察かどうかはさておき、米国人は読み間違えた。私は20年前から「中国は豊かになれば民主化する」という米国人の洞察は危ない俗説だと思っていたし、俗説批判を通じて、今日の米中対立をある程度予測していた。

 

俗説に対しては。まず天邪鬼になろう

それでは俗説とは何か?世の中には広く流布するストーリーがある。例えば「温室効果ガスのせいで異常気象が続いている」「中国製の半導体にはスパイウェアが入っている」といったストーリーがある。これが俗説だ。いずれも真偽のほどは不明だ。しかし人々の関心事にまつわる逸話でありテーマとしては重要だ。だから広く流布する俗説は少なくとも次の時代を作る課題に即している。だから広く流布され始めた俗説を見つけたらこれに絡み、いじってみると洞察力は磨ける。まずは俗説=ポジショントーク、つまり誰かが利益を得るための誘導的ストーリー、あるいはポジショントークではないかと疑ってみるといい。その俗悦が広がると誰が得をするのか。俗説が間違っているとしたら逆に本質は何か、を考えてみるといい。たとえば温室効果ガスが問題視されると潤うのは風力発電や太陽光発電の機材メーカー、あるいはひょっとしたら植物肉のベンチャーかもしれない。「牛のげっぷから出るメタンガスが危ない。だから地球を救うには意外に牛を食べるのをやめて大豆肉を食べるとよい」といった話は天邪鬼的に眺めてみると怪しい感じがするだろう(本当に真実かどうかは本稿では検証しない)。ともあれ俗説は洞察力を磨く上で格好の練習台だ。まずは疑ってみるといい。

具体的にはミルフィーユの皮をはがすように俗説を支える前提条件を疑ってみる。本当に温室効果ガスはCO2よりもメタンが危ないのか。メタンは牛のげっぷが主要要因なのか。所得が伸びる途上国では牛の消費が伸びているというのは本当かなどチェックポイントはいくらでもある。実際に調べてみたら牛は高すぎて人口爆発の途上国ではあまり食べられない。手っ取り早いのは養鶏場の建設であり、現にニワトリの消費が世界中で伸び、牛肉の消費は伸びていない。だったら牛肉消費をやめても先進国でしか効果は出ない。先進国ではもともと高齢化等で牛の消費は伸びにくい。ならば植物肉に変えてみても地球環境に与える影響は微々たるものだとわかる。

 

実は古典を読むと未来が洞察できる

1回目のレターでは、洞察力がどういうものかについて紹介していく。2回目のレターからは、慶應義塾大学SFCのゼミ生と取り組んだ研究をもとに、平安時代の貴族のライフスタイルの中に実は2050年の未来の生活スタイルを洞察できるという話をしたい。未来洞察と言えばすぐにハイテクが切り開く明るい未来・・という話になる。だが、これこそ俗説の最たるものだ(と、まずは天邪鬼になる)。そして技術や経済といった下司なものではなく、未来は文化が形作ると考えてみる。なぜならベネチアも中世中国も文化力で地域がまとまった。日本も実は天皇が勅撰和歌集というツールを通じて文化的に宮廷貴族たちと地方を支配し、文化で統治した時代があった。古典に描かれたその洞察をもとに未来を考えてみたい(以上、予告編)。

 

裏読みを必要とする日本の高度な洞察力

日本は西洋思想と東洋思想、前近代と近代が混ざっている潮目の様な国家である。我々は、民主主義や個人主義、男女平等といった価値観で教育を受けている。会社でもメディア報道でもそれは前提とされ否定はできない。だが日常生活では同調圧力にさらされ、集団主義の風潮が強かったり、男女差別が公然と残っていたりする。西洋的建前と東洋的現実が二重構造となっている社会なのだ。資本主義も徹底していない。低収益のゾンビ企業が政府の補助金で生き残り、そのおかげで失業率が低く、資本主義のネガティブ面が抑えられている一面もある。だからややこしい、わかりにくい。オトナの世界があちこちにあって建前で言われていることと逆のことがまかり通っている(博打禁止といいながらパチンコ屋さんに警察OBが天下るのも一例)国である。みなさんは会社でも西洋的建前を話しながら、内心で東洋的落としどころを探っていないだろうか。

 

最近はTwitterのように匿名で本音を発信できるSNSが浸透した。少なくとも本音と建前の中間領域位の表現はできるようになったが、世の中全体は二重構造の解消に至っていない。だが、この様に複雑な社会で日本人は洞察力を磨いてきた。先の見えない時代、日本人の洞察力は世界のなかでも有数の切れ味の鋭さを発揮していくような気がする。

 

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