著者

佐渡島庸平

第六章 誰もが暇になる時代

2021/10/22 08:34

僕たちは生きている中で自分の言葉が相手に通じない経験をたくさんする。それはそこに「ズレ」があるからだ。しかし、ズレに気づきながらも、それを深堀りすることはほとんどない。僕はそのズレは、世の中をみる解像度が違うことで生じると思っていた。でもそうではなかった。

細谷さんの『具体と抽象』を読んで、通じなさを生むのは、解像度ではなく抽象度だと気づいた。
今回、細谷さんと対談を通して「ズレ」についての深堀りを沢山した。
その内容が『言葉のズレと共感幻想』という本になって年内に出版される。僕のブログで1章ずつ先出し公開中。

 

資本主義と成⻑

佐渡島 ITの進化を見ていて、やっぱりヨーロッパは少し遅れているな、アメリカのほうが進んでいるなと僕は思っていたんです。アメリカが成功を追い求め、中国が追いつこうとする一方で、ヨーロッパには「成功を追い求めるのはかっこ悪い」という意識が垣間見える。それは負け組の負け惜しみではないかと感じていました。

 でも最近になって、成熟とはそういうことかなと思うようになったんですよね。

 僕はアメリカに出張する機会はわりと多いですが、ヨーロッパには大学生のとき以来行く機会がありませんでした。作家の平野啓一郎から、佐渡島さんもヨーロッパをしっかり見てきたほうがいいと言われ、意識的に数回、出張をしたんです。

 ヨーロッパの街に降り立ってみると、石畳の道を歩いているだけで、今にもその道を馬車が走ってくると錯覚しそうだし、道路沿いの石造りの建物に目をやれば、木窓から昔っぽい服を着た人が外を眺める様子が目に浮かんできたりする。中の人が入れ替わっているだけで、大昔から連綿と続く歴史が息づいているのが街からありありと感じられる。それで、ヨーロッパでは、新しい、おしゃれなビルが建つことが豊かさですはない。経済が拡大するのではなく、循環することが、ヨーロッパの人たちの豊かなんだろうなと思い至りました。

細谷 幸か不幸か、従来の資本主義の勝者はどちらかというと、なりふりかまわず金と成功に走った人たちでした。近年いろんな意味で資本主義が疑われている中で、これからどういうことが起きるのかは見ものでしょう。

佐渡島 では日本はどうかというと、やはり資本主義的な経済成⻑をよしとする価値観で社会を見ていて、それゆえにヨーロッパの人たちの価値観を全然理解できない可能性があります。僕たちは、ヨーロッパだけでなく、イスラム教圏の人が、どんな価値観で世界を見ているかを想像する力もない。

細谷 日本では、「〇〇ペイ」といった決済の仕組みがたくさんあって、街中のちょっとした店でも二十種類近い決済方法があったりするじゃないですか。日本では新しいものが次々と登場してきますが、一方でマイナンバーのような仕組みの整備はなかなか進まない。

 私はエストニアに会社を登記してみたんですが、その経験を通じていくつか気づいたことがありました。エストニアは小さい国だということもありますが日本と対極的で、根っこの情報インフラがしっかり統一されています。ただし、日本のように新しいサービスが街にあふれているかというと、まったくそんなことはない。

 もう二、三十年も前の話だと思いますが、アメリカ資本主義が世界を席巻していたときに、コンビニが二十四時間営業になったり、様々な商店の営業時間が延びたりしましたけど、ヨーロッパでは、それに同調することなく土日は開けない方針を頑なに貫いたりする傾向が強かったですね。当時は正直、頑固で商売っ気のない人たちだと思いましたが、今の佐渡島さんの話を聞いて、一周回ってきたような感じがします。

 実際日本では、コンビニの営業時間を短くする動きが起こっていますよね。二十四時間いつ行っても開いていることが中毒みたいな状態になって、果たしてそれが本当に人を幸せにするのか。今はじめて、そういう疑問が呈されてきているんだと思います。

佐渡島 資本主義社会では、ラットレースのように走り続けないといけない、止まるわけにはいかないという観念があります。でも実際には産業革命以降、定期的に戦争が起きていて、戦争による強制終了、あるいは強制ボーナスという変化があって、なんとか継続してきた。

 つまり、戦争を起こさないようにしている今の世界では、強制終了が発動されることがない。今のところ、戦争の他には強制終了がかかるような仕組みはないので、止まれなくなってしまっているこの社会に、何か止めたり、やり直す仕組みが必要だと思うんですよね。

 そういう意味で僕がとても気になっているのが、「ええじゃないか」という江戶時代の⺠衆運動ですね。みんなが「ええじゃないか」と囃しながら踊ったりお祭り騒ぎを続けて、そのあいだは社会活動を麻痺させてしまう。どういうふうにしてそれが起こっていったのか、不思議ですよね。一体どういう空気感だったのだろう。そのときの社会の空気みたいなものが知りたいですね。 戦争ではなく、社会を変えようとした全体の空気みたいなものがありそうだなと思って。

細谷 ものごとには、誕生して形ができて成⻑して衰退するという、一連の流れがあります。会社のような組織なら、その過程はまさに抽象から具体みたいな流れで、まず誰かがコンセプトを作って、それを実行に移して参加者が増えていって、それと同時に細分化がされていくというふうな経過をたどる。会社の場合には、良くも悪くも集団意思決定になっています。

 人の場合には、川の流れのようにだんだん角が取れていって丸くなる。国についてもたぶんそういう流れですね。リセットしないと新しいことは始まらない。これまでは戦争や明治維新がその役割を果たしてきたんでしょうが、いまの世の中で何によって国がリセットされるのかがわからない。独裁者による圧政も、世界大戦も、起こるとは考えにくいですし。人だったら、成熟化を経たあとに必ず死んで入れ替わっていくわけですけど、社会システムはそう簡単に死なないですからね。

佐渡島 過去に何度も大きな社会の変化が起きているように見えますけど、江戶時代に起きた社会の変化が今日まで消えずに続いていたりしますからね。

 最近知人と「文化と文明」について話していました。文化と文明の違いとして、僕は、文明のほうが時代の範囲が⻑いというイメージを持っていました。メソポタミア文明は⻑そうだし、江戶時代の元禄文化は短い感じがします。⻑さだけではなく、文明のほうが範囲が大きくて、文化のほうはそれに比べたら範囲は狭くて、深いというような漠然とした理解だけをしていました。

 ところが知人の話では切り口がまったく違っていて、文明というのは技術によって作られるんだというんですね。だから世界中に伝播しやすい。昔は伝播するといっても一定の地域に限定されていたわけですが、今はそれこそIT文明の時代で、世界中に一瞬で伝播してしまいます。

 他方、文化というのはコンテクストの上に成り立つから、伝播しづらいものであると。つまり文明は陳腐化するけど文化は陳腐化しない。文明ではコミュニティは生まれないけど、文化ではコミュニティが生まれるという違いがあるんです。

細谷 コミュニティの形成には文化という土壌が不可欠なわけですね。今の話を聞いて、コミュニティの時間軸が気になってきました。経過とともにどんなふうに変化していくのでしょう?

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