著者

佐渡島庸平

「未来は変えられる」という意志を手放すこと。

2021/10/13 07:04

「俺の敵はだいたい俺です」

『宇宙兄弟』のムッタのセリフだ。観察について思考し、バイアスについて考えれば考えるほど、この言葉の深さを感じずにはいられない。

世界の観察を妨げているのは、まさに自分の脳だからだ。

ぼくらは観察する主体であるとともに、観察される対象の一部でもある。だから、自分自身を客観的に観察するのは難しい。

それを実感するひとつの例として、『観察力の鍛え方』の本では、自然保護活動などでよく耳にする「地球に優しく」という表現について書いた。

自然保護は大切だし、二酸化炭素の排出量を抑えることも大切だ。しかし、それは人間のために大切なのであって、地球のためではない。

地球の長い歴史を見ると、動物だけでなく植物ですら、新参者だ。二酸化炭素に覆われていたのが地球にとっての自然な状態であり、新しい侵入者である植物によって、地球に酸素という毒を撒き散らかしているという見方もできる。

かたや、家の中が汚いときに、「家がかわいそう」とは考えない。自分が家を汚したのだから、自分のために家をきれいにしようと思うだけだ。家であれば、自分の存在を意識して思考することができるが、対象が「地球」のように大きくなると、客観視することが難しくなる。

「地球に優しくとは、人類に優しくという意味だとわかっている人がほとんどだ」と反論する人もいるだろう。でも、ぼくは「この地球を自分たちの都合のいい場所にしておきたい」という人類がもつ欲望を意識せずに、言葉どおりに「地球に優しくしよう」と思っている人が多いのではないかと思う。

自分の頭のなかに潜む欲望を、客観的に観察するのは難しい。それは当たり前のものとして、自分にインストールされているからだ。

無意識に沈んでいたものを、どうやって意識下に引き揚げるか。
それが、観察力を鍛えることだと、ぼくは思う。

ここ最近、無意識に沈んでいたものとして、改めて意識し直していることがある。

それは「過去・現在・未来」の因果関係についてだ。

過去の積み重ねによって現在があり、現在の行動の先に未来がある。過去と現在と未来は相互に結びついていて、そこには因果関係が生じる。だからこそ、現在を変えることで、「未来を変えよう」という意志が生まれる。

未来は自分の力で切り開くものと信じて、一生懸命に努力をする。そうやって未来を変えていこうとする意志は美しいと、多くの人は感じるだろう。ぼく自身、そういう風に捉えてきた。

けれども、それは本当に正しいあり方なのか?

その着想を与えてくれたのは、カート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』という小説だ。

スローターハウス5 

カート・ヴォネガット・ジュニアは、ぼくが学生の頃から好きな作家の一人。この本は学生時代に何度も読んでいたのだが、ぼくが主催する「文学サークル」の読書会で読むことになり、久しぶりに読み返すことになった。


この『スローターハウス5』はカート・ヴォネガット・ジュニア自身の戦争体験をまじえた半自伝的長篇なのだが、今になって読み返すと、ぼくの考え方にものすごく影響を与えていた作品であることに気づいた。


この本では、過去・現在・未来はすべて決まっていて、変えることはできないという考え方が登場する。


そして、起こる出来事すべてに対して、「そういうものだ」と書かれる。人が死ぬことも、人間が残酷なことをするのも、優しいことをするのも、すべて「そういうものだ」と。Kindleの検索機能を使うと、作品内にこの言葉が170回くらい使われていた。


これは運命論とか悲観的な話ではなく、因果関係から抜け出すことを説いているのだと、ぼくは感じた。

例えば、事故で大切な人を失なったら、その人は事故が起こってしまった因果関係を考えてしまうと思う。そして、「もし、あの時、あんなことをしなければ」「あの場所に、行かなければ」など、原因と考えられるものに自分の後悔や怒りの矛先を向けてしまうだろう。

でも、昔の人は、因果を探さなかった。妖怪とか妖精のせいにしてしまった。今の時代で、そんな発想をしたら「不謹慎だ!」と怒られるか、呆れられるだろう。でも、そういう時代があったのだ。

ぼくはそれは無知ゆえで、科学が発達してないからだと思っていたけど、逆により深い知恵だと感じるようになってきた。おそらく、ものごとには因果関係があるという考えに囚われていなかった。だから、死んだ原因を追求することもなく、ただただ死を悲しんだり、死後の幸福を祈っていたのではないだろうか。

最近のぼくは、物事には因果関係があると考えると、目の前の現在を蔑ろにしてしまうのではないかと考えている。

過去が原因で現在があると思うと、「あの時、もっとこうすればよかった」と過去に目がいってしまう。また、現在によって未来が変えられると思うと、現在が未来をよくするための手段のようなものになってしまう。

観察とは、目の前にある現在をしっかりと観ることだ。

そう考えると、未来と現在は因果関係で結ばれているのではなく、「過去は過去。未来は未来。現在は現在」と割り切って、考えたほうがいいのではないかと、最近は考えている。

これは「未来は変えられる」という意志を手放すことでもある。


因果を気にしないで人と接してみると、付き合い方や相手への興味の持ち方はどれくらい変わるのだろうか。そういう思考実験を最近はじめた。

 

 

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