著者

茂木健一郎

異常すぎる「偏差値教育」に支配された、日本人の残念さ

2022/01/13 10:41

 前回のこの連載で、日本の教育を支配している「偏差値」の異常さについて触れた。

 誰が見ても時代遅れのこの指標に、日本の社会はなぜここまで拘っているのか? 今回はその深層心理に迫りたい。

 偏差値の起源は、高校受験をする中学生を指導する先生が、落ちてしまって浪人するのは可哀想だからと、ある受験生の集団の中の位置付けを統計的に把握するために考案したところにある。ここまでは、まだ、ある種の「親心」としてわからないわけではない。

 問題は、そのような受験指導の方便を離れて、偏差値が自分や他人を比較したり、プライドや劣等感の元になってしまっているということである。

 特に異常だと思うのが、私自身も進学した東京大学のような大学で、学生の一部が自分の高校時代の偏差値自慢をしたり、そのことによって自我を支えるような言動が見られるということである。

 本来、世界に、そして無限の学問の可能性に向かって開かれているべき大学で、そのようなマインドセットが支配しており、それをまたメディアが追認しているという点に、日本の高等教育の置かれた隘路、ダメさ加減が象徴されているように感じる。

 私は、日本における偏差値信仰の背後にあるのは、深いところでの「あきらめ」だと思う。

続きは購読した方が読めます
もしくは
550(税込)
WISS | 発信者の世界観をそのまま届ける月額ニュースレター

このニュースレターをシェアする