著者

岩渕潤子

幼い頃の思い出を閉じ込めるデジタルおもちゃ箱があったなら…

2021/09/01 09:28

今はなくなってしまったものを記憶に留めるために

 一度涼しくなった後の残暑はひときわ身体に堪えますね。明け方の3時頃に窓を開けて、外に顔を出してみても少しも涼しくないことにがっかりして、その後はなかなか寝付けなくなる日々が続いています。それでも、風の中に微かな秋の気配を感じるので、明け方の空を見上げて溜め息をついている人の呟きをSNS上では多く見かけるようになりました。そんな時に引き続き多く目にするのは、遠く離れた家族や友人たちと会えないが故の、子どもの頃や若かりし頃の楽しかった思い出を深夜に語る人たち。そして、秋がもうすぐということだからなのか、葡萄や梨、桃や栗、さらには秋刀魚の話となり、この1年、半年のうちに閉店してしまったお気に入りだったレストランや居酒屋について熱心に語る人を多く見かけるようになりました。

 

 一つの居酒屋について、複数の人が同じ店について愛情を込めて語り合うのは、遠く離れた親しい人について家族が話題にするのと似ています。そのお店があった界隈の様子について、最寄り駅から歩いていく道すがら見かけた景色が共有され、やがて店内に入ってすぐの様子・・・奥から聞こえる威勢の良い男性店主の声、中年の女性店員さんたちの軟らかい笑顔、そして、そこでいつも注文して食べたお刺身、煮魚、焼き茄子、甘辛いササガキ牛蒡が美味しいどじょうの柳川、〆のおにぎりや木綿豆腐の入った赤出汁について、次から次へと思い出が語られていきます。そして、もうそのお店は存在しないんだ・・・という、諦めと悲しみの入り交じった「ありがとう」「忘れないよ」という感謝と惜別の言葉。なんだか、これは親しい友を送る葬儀のようでもあり、積み重ねられる情のこもった言葉はエピタフ(墓碑銘)のように感じました。そして、誰かが「あの店は、僕の心の中で今日も営業中。これからもずっと・・・」と言い、みんなが薄暗い夜の景色の中に浮かぶ居酒屋、引き戸を開ければ待ってくれているはずの経営者と従業員さんたちの笑顔やお客たちの楽しそうな会話を思い浮かべて、しばしの間しんみりとした気分に浸るというわけです。

 私自身、SNS上でのこうした「深夜の会話」に参加しながら、「こんなに多くの人が記憶している無くなってしまったお気に入りのお店、せっかくだからメタバース上に残すことができたらいいのに・・・」「同じお店の記憶を共有している人たちは集まって一緒に語り合いたいんじゃないだろうか」と思うようになりました。閉店して間もない居酒屋やレストランであれば飲食系の情報サイトには膨大な写真やコメントが残っており、それに加えてSNSを通じて呼びかければ、スマフォに眠っているお宝写真を提供してくれる人たちはかなりの数に上るのではないでしょうか? お店の外観、最寄り駅からそこに至る風景などの情報(写真や動画)が十分にあれば、お店とその界隈を3Dで再現することもできるし、そこに到達した人たちが店内に入って、店主や店員さんの生き生きとした表情を眺めながら、かつてそこで食べた料理について会話して思い出をイマーシブ(没入環境下)に語り合うことができるというわけです。

 コロナ禍の期間中に閉店したお店は、長い間私たちが自由に外に出られなかったこともあり、いつ、どのタイミングで閉まったのか定かでない場合が多いようです。通常であれば、常連として通った店が閉店すると聞けば、できるだけ顔を出して店主や従業員さんたちに直接別れを告げたいと思うのが人情です。しかしながら、コロナという特殊環境下、私たちはそんな普通のことすらできなくなっていたのです。それはまるで、海外在住だから高齢の母親に会おうとしても容易に日本には帰れない、あるいは、危篤なのに会うことが許されないまま父親や祖父母が亡くなってしまい、思ったような葬儀もできなかったという状況とかなり近いのではないかと思うのです。

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